小窓から差し込む光を生かした建築とお庭の教会

 引越した翌日から連絡を取っていたのに、電話が繋がらなかったのは、ここが無牧師教会だったから。

 ルーテル市ヶ谷で8年、その後半年だけルーテル戸塚、その流れで新しい地元になった武蔵村山に近いところでルーテルを捜したら、羽村だった。

 連絡が取れなかったから、1年半にわたり純福音立川教会へ行っていた。

 月に3度、引退牧師や他の教会の牧師が来訪して礼拝をする。

 なんと市ヶ谷教会の浅野先生に再会できてとても嬉しかった。

 羽村教会は月に一度は無牧師礼拝で、他の教会の礼拝の模様をライブ音声で聞いて行う。

 それにショックを受けて、無牧師の日は行かないで、家で別の教会の礼拝ライブを聞くか、youtubeで聖書動画を見ることにした。

 そのうち(いつかは知らされていないけれど)専任の牧師先生がいらっしゃるとのこと。

 市ヶ谷時代に聞いた話だと、ルーテル大学は今年も入学者がいないということだったが、ルーテル教会のキャンパスに入ると、学生の姿を何人も目撃し、大学として機能しているようだから、牧師を輩出しているのだと思う。(ルーテル大学敷地内にあるルーテル三鷹教会の場所を探しに行った。通い切れる距離ではないことが判明。)

 卒業しても教会の数が増えない限り、専任での赴任先はないわけだから、どうして羽村は無牧師なのだろうと不思議になってしまう。

それでも、なくなってしまわないで、何年も無牧師教会のまま存続しているということは、すごいことだと思った。

 五島列島で見た、250年間隠れキリシタンだか潜伏キリシタンだかをやっていた信者の意志を感じた。

 まあ、近所にルーテル幼稚園があるから、相互作用で続けてこられたのだと思う。

 赤い十字架の教会はコリアン教会だと知り、近所の教会をネットで色々調べて、やっと辿り着いたのが、自宅の一室を教会にしている元NHK職員のバイブルチャーチだった。赤い十字架教会が思いのほか多かったのには驚愕した。バイブルチャーチの間違ったコード運びで演奏する音楽に耐えきれず、インマヌエル教会へ。

 そこは半年いた。ルーテル教会と連絡が取れるまで。

 私が羽村教会へ送ったメールが、なんと長野県へ移転した牧師から羽村教会員の阿部さんに行って、そこからルーテルに繋がった。

 2年の時間を使ってしまったけれど、別のところも見られたから、見聞が広がってよかったと思う。

 マスクをしないといけないのと、コロナを理由に讃美歌を2曲しか歌わないことと、ワク接種を4回もした人がゴロゴロしていることを抜かせば、歌い慣れた国際的に認知されている格調高い讃美歌に触れることは、心地良い。

 クリスマスコンサートでは、カウンターテノールの歌を聴き感動。

 13世紀や16世紀の音楽、18世紀そして20世紀の音楽も聞かせていただき、大変勉強になった。

まさに音楽芸術の教会だ。

 そのクリスマスコンサートを、ルーテル大森教会でもやるとのことで、大森くんだりまで出掛けて行った。行った甲斐があった。ソプラノと組んでのカウンターテノールのコンサートは素晴らしかった。

いよんちゃんなんか、涙が出るほど感動したと言っていた。

 別の教会でもやるようなことがあれば、是非、聴きに行きたい。音楽は質が大切なのだとつくづく感じる。

 ヘーゲルの『美学講義』によると、芸術は形式と内容だから、内容だけではダメで、形式がしっかりしていないといけない。

 ルーテル教会以外の教会で、形式をきちんと保っているところはなかった。理念があっても、現象(私はビジュアルとかテクニックと捉えている)が必須なのだ。


左は令和5年春の『桜カフェ』イベント、4月のある日。

中央の夏の『平和を願う日』には、『千の風になって』をテノールで元武蔵村山市議会議員の須藤博氏が、音響機材持ち込みで美声を披露。音大卒。


宗教改革後も典礼歌を500年歌い続けているプロテスタント教会は、ルター教会だけとのこと。

2000年来、歌ってきたキリスト教の歴史的音楽遺産を受け継いでいるのは、素晴らしい。

何拍子なんだかわからないそれらの歌を学ぶことができることを、嬉しく思う。
音楽文化や宗教音楽の教養が学べるのは、ルター教会だけなのだとわかった。

Martin Lutherを誇りに思う。
つまり他のすべてのプロテスタント教会が、新しい音楽で礼拝をしているということ。
典礼歌をやらない日以外、私は東京にいる時は必ず出席するようにしている。

と言っても教会の会員になっていない。(R5. Aug.13)

イスタンブールのアラム語教会の会員だから。


令和5年12月9日 土曜日 午後2時 クリスマス・コンサート

 

カウンターテノール:濱口幹延

オルガニスト:原田真侑

ルーテル羽村の冬のお庭: