前の日の夜に渡嘉敷島から戻って来て、宿を取った。

 4/4の日曜日の朝、復活祭の礼拝を受けたくて、沖縄に出発する前から、日本基督教団那覇中央教会に電話をして、復活祭の礼拝に参加したい旨を伝えたら、島外の人はダメだとすげなく断られた。

 それにもめげずに私は、立派な十字架が遠くから目立つ堂々たる日本基督教団の建物を訪れた。

 扉には、島外の人は礼拝に参加できない旨の貼り紙がしてあった。

 二度拒否された気持ちになったけれど、中に入って、女性(多分、牧師の奥様)に礼拝に参加したいと言った。

 「島外の人には礼拝に参加させない」と言葉で言われた時、私は三度拒否されて、泣きそうになったけれど、鶏の鳴く前に三度「知らない」と言われた偉い方のことを思い出し、勇気を奮って、近くの教会に辿り着いた。

 ライフセンター、バイブル書店、いのちのことば社、沖縄福音会館と書いてある。

 ともかく二階へ上がり、礼拝に参加させていただこう。

 すでに礼拝が始まっていたけれど、快く迎えて下さった。ありがたい。

私より遅くいらした方が数名いらしたのが救いだった。

 復活祭に礼拝に参加できないのではないかという不安でいっぱいだった数分前の気持ちから、やはり神様は私をお導き下さったという感謝の念でいっぱいになった。

 お説教が終わると、お菓子やコーヒーをふるまって下さり、皆さんの前で私をご紹介下さったので、ここへ来た経緯を話しているうちに、感極まって泣きだしてしまった。

言葉が出なかった。

 ゴスペルソングのCDはあるかとお伺いすると、あるとのことで、かけていただき、私は正面に飛び出して、その曲1曲に自分の思いを込めて踊った。

 言葉で言えないことでも、踊りだと不思議に表せられるものだ。

沖縄福音会館(正式には久米めぐみチャペル)は、私を拒否しないで、受け入れて下さった。

そこに神様の姿を見た。

良い方達と触れ合えたことが、今回の沖縄旅行の最大のお土産になったと感じた。

帰りには、教会員の方が、博物館までクルマでお送り下さった。

一時はどうなることかと思ったけれど、最後には最高の復活祭になった。

これは東京へ帰ってから、泉パウロ先生にご報告しないといけないと思った。

神様のご配慮に感謝。

久米めぐみチャペル (Kume Megumi Chapel) 牧師:謝花寛営 〒900‐0033 那覇市久米2‐11‐18‐2F TEL:080‐3524‐5779
(注:その頃はまだ泉パウロ先生の教会へ通っていた。赤い十字架教会の怖さを知らなかった)


令和3年10月

 

久米島へ行く前に那覇で再び教会を訪れる機会があったことに感謝する。

皆様との再会を喜び、踊らせていただいた。

謝花牧師の奥様と以前東京に住んでいらした西尾さんが、対馬丸資料へお連れ下さった。

神様が、今日、これから2時間後に近くの劇場で、対馬丸沈没のミュージカルをご用意して下さっていた。神様に感謝。

タクシーで劇場に直行。素晴らしいお席が取れた。40名くらい出演していただろうか。

対馬丸に4歳の時に乗っていて、奇跡的に命が助かった方が、舞台の上でお話になった。その方の命は、神様とその方のお父さんが守って下さったのだと知り、本編が始まる前から、大泣き。

演出やキャスティングや台本は多少変だったけれど、そんな小さなことはどうでもいいと思える内容の濃い作品だった。どうしてこのような素晴らしい内容の上演がスポンサーなしで、自主公演しているのだろうと不思議だった。

素晴らしい1日を過ごした。

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後日談:

沖縄を去る1日前のこと。国際通りを右手に曲がり、焼き物街にある焼き物美術館へ行ったら、とあるポスターに目が釘付け。神様は私が興味を惹きそうなものを、ちゃんとご用意して下さる。

神様はいつも用意周到。

『沖縄燦燦』を見るために、来年2月にまた沖縄に来よう。
時間を見たら、教会の後、急いで行けば、見られる時間帯。

早速、チケットを予約した。良い席!航空券もホテルも取った。


令和4年2月6日

 

 日曜日の朝、タクシーでめぐみチャペルへ行った。まためぐみチャペルの皆様にお目にかかれる、皆様の前で踊れると喜んだら、謝花牧師が入院中だという。

大きなショックを受けた。

式次第には、「特別賛美:丸子睦美」と書いてある。

感動して涙が出そうになった。めぐみチャペルは私を待っていて下さった。

別の牧師のお説教だった。

謝花先生のご容態が気になる。

入院すると、薬漬けにされて、健康な人まで病気にさせられるのは、両親を見ていたからよく知っている。休養なさるのなら、ご自宅が一番いい。

現在、どのようなお加減なのだろう。

『沖縄燦燦』のミュージカル公演を見るために牧志へ急いだが、謝花先生のことが気になって仕方なかった。


令和4年2月17日

 

 4月17日に復活祭のお祝いをすると、めぐみチャペルの謝花牧師の奥様からご連絡をいただく。

デルタ航空に問い合わせて、貯まったマイルでその前日に到着する便を予約した。

マイルが国内便に使えるとは知らなかったので、たくさん貯まっていた。

飛行機は神様がご用意して下さったから、復活祭に参加できる。 


令和4年2月24日

 

  めぐみチャペルにこのようなメッセージを送った。

 

「謝花先生のご回復をお祈りさせていただきます。
謝花先生が復活祭礼拝においでになれる時まで、私は明日からコーヒーを断ちます。
今朝はもういただいてしまいましたから。
毎朝コーヒーを飲むのを日課にしておりましたけれど、
日常を断つことで、神様に私のお祈りが伝わると思います」


令和4年4月9日 土曜

 

  「お祈りありがとうございます。

謝花は昨日の胃カメラ検査で胃潰瘍は治っているとのことでした。

今体力筋力回復のためゆるゆると歩いています。

無理がきかないのですが、明日の礼拝に参加します。

コーヒー断ちの祈り感謝! 

明日の先取り感謝でコーヒー召し上がって下さい」

嬉しいご連絡がめぐみチャペルから届いた!

涙が出てきた。

神様が願いを叶えて下さった!

でも、最初に飲むコーヒーは、来週の日曜日の復活祭の時に、めぐみチャペルで謝花先生のお顔を拝見しながらいただきたいので、あと数日、コーヒー絶ちを続けようと思う。

1ヶ月半でしたのだから、あと1週間くらいなんでもない。

神様、ありがとうございます!


令和4年4月17日

 

 復活祭礼拝の礼拝に参加するため、4/16那覇に到着して、翌日は復活祭。昨年とのなんという違い!

復活祭の日に自分が祈る場所があるということはなんという喜び。

 謝花先生は礼拝においでになられていました。神様に感謝!

お説教は2/6の時と同じ牧師先生。

今回、復活祭礼拝の後、踊らせて頂いたら、10年ぶりに礼拝に参加なさったというピンクショールさんが、踊りをご覧になって泣いてしまったとおっしゃって下さり、本当に嬉しかった。復活祭のお祝いでいろいろご馳走になり、あっと気がついたら、全員で集合写真を撮るのを忘れてしまった。

残った人だけで撮ったら、こんなに遠近感のある1人だけ他の人の4倍の顔の面積に写ってしまった。帰りにピンクショールさんが、ご親切に私を名護バスターミナル行きのバスが出る県庁前まで乗せて行って下さった。

感謝いたします。


令和4年12月22日

 

めぐみチャペルの方々から、あたたかいメッセージをいただいた。

嬉しくて涙が出てしまった。

遠くにお友達がいる、しかも、神様のご紹介。

私は本当に幸せもの。

遠くな気がしない。すごく近い。
私が送った小笠原のお塩の詰め合わせは、クリスマス礼拝までに届かないかもしれない。

ごめんなさい。


令和5年2月26日

 

宮古島へ花粉症避難に行くため、めぐみチャペル謝花先生から、ご紹介された宮古バプテスト教会へ行った。

いやあ、びっくり。

このような場所があるということが、信じられなかった。

パウロの時代の7つの教会もこんなだったのか。


令和5年9月23日

 

「こんにちは。今日の琉球新報で沖縄の馬といたあの日写真コンテストの案内がありました。丸子さんはあるのではと思ったので、おくります」というメッセージと共に、 謝花先生が新聞記事を送って下さった。

ありがとうございます!


令和5年9月24日

 

そのようなわけで、琉球新報に送った写真がこれ。写真コンテストに応募するなんて、生まれてはじめて。
令和5年3月に与那国島へ行った時に、日本最西端に棲む野生馬ということで、夢中になって撮った中の一枚。

日本最西端の離島に自生する馬たち: 与那国駐屯地前の大自然が棲家


令和5年11月11日

 

「沖縄の馬といたあの日写真コンテスト入選おめでとうございます」

というご連絡を謝花先生からいただいた!

まあ、私ときたら、写真の題名もつけずに送ってしまったようだ!

「タイトルなし

与那国島の広大な放牧地に、この子はいた。

自衛隊の前は、灌木あり崖ありの大自然。自然分娩しているという。

いろいろな馬が混ざったのだろうか。すごく可愛い子に育っていた。

自衛隊前の海岸に軍港ができたりしたら、馬たちは一体どこで暮らすことになるのだろう」

神様が謝花先生を通して私に下さった素敵な贈り物。

ありがとうございます。

そう、この島には、漁港はあるけれど、軍港がない。

軍港を造ることを想定して、海がよく見渡せるあの場所に自衛隊を建設したのだろうから、

野生馬たちは、結局棲家を失い、間引かれて、島内の北牧場に連れて行かれるのかと、この子達の未来に想いを馳せた。


令和5年11月16日

  

 嬉しかったから、facebookにも載せた。

『国防最前線の野生馬』 与那国島は、(単位キロ)
石垣島まで117、那覇509、東京2112、台湾111、香港951、ソウル1500、北京1833、マニラ1124。
台湾とこんなに近い与那国島。那覇へ修学旅行に来る生徒さんたちを与那国島まで連れて行って、国防最前線の島を見せることは平和教育だと思う。米軍上陸の地、嘉手納でカヤック漕いでいるだけではなくて、将来を見る人に育てるために、与那国へ行くべきだ。馬も歓迎してくれるし。
謝花牧師夫人が琉球新報の写真コンテストをご紹介して下さったことで、単なる観光旅行では考えなかったことも考えられるようになったことに感謝。